2006
友人の家でたまたま読んだ漫画で、印象に残った一節がある。
『何かに囚われていると、世界の美しさは見えてこない。』
ああ、じゃあ今自分はすごく囚われているんだな、と思った。
さらに言うと、この台詞の裏には、「本当の世界は美しいのだから、もし世界が美しく見えないなら、それはあなたの心がそれを見ようとしていないからなんだよ」というメッセージがある。
「本当の世界は美しい」。そう信じられること自体が、充分に前向きで楽観的で博愛主義的で、ルネッサンス的っつーか、前を向いて歩けばいいことあるさ!的な思想だよなーと思う。世の中にはきっと、そんなのを信じる事ができない人だっているだろうに。
とは言うものの、上記の一説にかなり心を打たれた私も、結局はそういうのを信じている事になるわけだが。
2006
小説で読んだ台詞。
「歴史の好きな人が歴史の先生になって、数学の好きな人が数学の先生になるんだよね?そんな人たちにどうやって、歴史や数学が苦手な生徒の気持ちがわかるんだろう。」
確かにその通りだと思った。
これが言えるのは、先生ばかりじゃないけどね。
2006
ハロウィンでしたね。私は何もしなかったけど、大学のキャンパスでは仮装している人がちらほらいました。パンプキン柄の靴下とスカートをはいた女の人とか、おでこから角を生やしながら木陰でギターを弾いている青年とか。
ところで、FAのビルの付近でちょっとすごい人がいましたよ。赤いTシャツを着た男の子で、顔も手も血だらだら(のペイント)で、腕には包帯。最初は、なんか変な歩き方をしてる人がいるなーぐらいにしか思ってなかったんだけど、よく見るとそんな格好をした彼が、いかにも死にかけている風によろよろ歩いているわけです。
そりゃーもう、はた目には血だらけで「はぁ…はぁ…」と苦しげにあえぎながら歩いている重傷人そのもので、彼はそのとても時間のかかる歩き方でずーっと進んでいくわけですよ。すれ違う人には無視され、誰一人見ていないのに。
これこそ芸人魂だと思いましたね。人前で芸が出来るのは並みの芸人魂ですが、誰も見ていないのに芸をやり抜く事こそは最強の芸人魂でしょう。リスペクトの眼差しを送らずにはおられません。
「この世は舞台なり。誰もがそこでは一役演じなければならぬ」とはシェイクスピアの台詞。血だらけの彼が見せた芸人魂よろしく、人に見られる所で自分の役を演じるだけでなく、見られていない所で演じ切る人こそが、本物に違いありませぬ。
2006
疲れたとき、嫌なことがあったとき、どうにも気分が落ち込んでいるとき、冷蔵庫からビールを出してプシッと開けると、少しはいい気分になれる。
ビールのうまいまずいはともかく、酒を手に取るというそれ自体が、なにか特別な感じを与えてくれるから。
でも、そのたいていは有効な方法でさえ、きかない時がある。
ビール自体には何の力もない。そんなビールに、自分の気持ちをなぐさめてくれと期待している自分が、哀しく思えてくる。
そんな、手に持ったビールが哀しく見える時、いよいよ逃げ場はなくなる。
2006
苦手というのは、努力をしてもなかなか改善しないから、苦手というのではないだろうか。
ある人は、自分がスピーチが苦手なのを知っていたので、たった五分のスピーチに何時間もかけて準備をした。それでも当日、うまく喋れなくて、やっぱり苦手だなあと思った。別の人は、自分が本番に強い事を知っていたので、ちょっとリサーチをしただけで、当日はその場のアドリブで滞りなく喋れた。
前者の方がずっと努力したのに、当日の出来だけを見て、前者はダメだと言われた。
ある人は、自分はどうも協調性が欠けていて、他人から悪いふうに言われやすいのを身をもって知っていたので、最大限の努力をして協調性を持つように心がけていた。それでも結局、あの人は協調性のない、失礼でムカつくヤツだと言われた。別の人は、今まで別にそんなふうに言われた事がなかったので、自然に振舞い、それで他からの批判を浴びる事はなかった。
前者の方がずっと努力しているのに、それでも後者のようにはなれなかった。
表面に出ている事が、その人の努力や生き様のすべてじゃない。人間関係でも、ある方面で頑張っていないから良い結果を出せていないように見える人を、あいつはクソだ、で終わりにするんじゃなくて、本当は人一倍頑張っているのかも知れない、それでもそれが苦手でうまくやれてないだけかも知れない、と思うことのできる勇気と優しさを、持たなきゃいけないと思う。
2006
今趣味で取っているクラスに、Criminal Justice 427という授業がある。このクラスは「Struggle for Justice」と題されており、アメリカにおける人種問題の司法的考察といったところだ。題にひかれて取ったが、趣味で取るには難しかったような気もする。
今日はそのクラスである映画の数シーンを観た。その映画の題名は知らないが、ロサンゼルスのサウス・セントラル地区での黒人ギャングたちの抗争についてのもので、冒頭のシーンから衝撃的だった。
アジア系の夫婦の経営する店に入り、酒を買う未成年の二人の黒人青年。二人は買う前から飲み始め、注意した主人にファックを連発して悪態をつく。トラブルは起こしたくないから早く出て行ってほしい主人に対して、二人の罵詈雑言はエスカレートする。ずっと我慢していた主人は、彼らが出て行くのを見ながら、小声で文句を漏らす。それを聞きとがめた二人は、おもむろに拳銃を取り出して店の夫婦を射殺し、レジの金を奪う。
それからも彼らは数人の仲間と、気に入らない連中や他の黒人ギャングたちをマシンガンで蜂の巣にする。最後に、彼らはロスを出てジョージア州に引っ越そうと外で荷物を車に積んでいる時に、通り過ぎた乗用車から突き出した数丁のマシンガンによって、今度は自分たちが蜂の巣にされる。瀕死であえぎながら、「I've done too much to turn back, and I've done too much to go on.」という独白と共に、映画の幕が下りる。
彼らの生き方が正しかったかどうかは知らない。ロスのサウス・セントラル地区に黒人として生まれた時からそういう人生を歩む運命だったのかも知れない。しかし、これこそクソのように生きてクソのように死ぬって事だと、映画を観ている間中思った。
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