2006
携帯がおかしい。今日、着信履歴(ものすごく久し振りにこんな単語を使った!)もないのに留守電の伝言が入っているというサインがついていた。あれ?と思って聞いてみると、11月3日から昨日までに溜まった14件のメッセージが出るわ出るわ…。全部聞くのに10分もかかった。
憎きスプリントめは、伝言が残されていたというのに、そのサインを出してくれていなかったのである。そんなんで気付くわけがない。その結果、
伝言「ゆにん、グループワークは8時半からよ。」
結果→時間を聞いていないのに遅れたと言われて逆ギレ。
伝言「ゆにん、明日セージブラッシュのオフィスに寄ってちょうだい。」
結果→そんな事はつゆ知らずにすっぽかす。
なんて迷惑なんだ、スプリント(怒)!!
どうにかしてくれ、まったく!!
2006
チップスなどのお菓子を食べるとき、指についたのまでなめる派だ。
むしろ指についた味付けの粉こそがおいしいんじゃないかと言いたい。
外で何かを買って食べるときも、やっぱり指をなめる。
でもたいてい手を洗ってないから、やばい菌とかついてたらどうしよう。
そう思いつつ、まぁいいかとなめてしまう。
落としたものは普通拾って食わないけど、それと同レベルかもしれない。
こういうところが横着だよな。
2006
英語で雑談をしてると、相手の話の大筋がわかってりゃディテールはそんなに気にしなくてもいい。半分ぐらいわからない単語や表現があっても、相手の喋り方や文脈で大体どういう反応をすればいいのかわかるから、ちょろいぜと思っていた。でも、今日はそれで失敗をした。
今日の朝に物理の試験があって、それが終わってからバイトに行った。ボスのハワードさんに「さっきまで物理の試験でさー」と言ったのから雑談が始まる。同じUNRの生物学部卒のハワードさんが、自分も物理は嫌いだったけど取らざるをえなくて、でも取ってみたら先生がいい人で楽しかったと言う。その先生が「passed away」したんだとハワードさんが言った時、私はすぐにその意味が分からなかったけど、たぶんクラスをパスしたという意味だろうと思って「そうなんですか、あははは」と返した。…ちょっと途切れる会話。
ちょっと困ったように、「えーと、死んだってことなんだけど、数年前に。」と彼が付け加えた。やっと熟語の意味を思い出して、間違いに気付く私。”Passed away”はクラスとかをパスしたんじゃなくて、その教授が数年前に亡くなられたという意味だった。それに対して、あまりにも失礼でそぐわない返事をしてしまった。きっとあまりにそぐわなすぎたので、ハワードさんも私が意味を理解してないことに気付いたんだろう。知ったかぶりの返事のせいで、とても申し訳なくて恥ずかしい思いをした。
2006
うちの家が道路に面しているせいで、歩道を歩いて行く人の姿がよく見える。それを何気なく見ていると気付くのだが、黒のズボンに白いワイシャツ、その上にてかてか光る黒い生地のチョッキを着た人がたまに通って、決まって南へ歩いて行く。南には何があるか?それはダウンタウンと、立ち並ぶカジノだ。彼らはこれからカジノに出勤するディーラーさんたちに違いない。
バナナフィッシュの中でブランカが「スーツは男の戦闘服」とキメていたが、ディーラーさんたちのチョッキを着た後姿はその言葉を連想させ、ちょっとかっこいいなと思いながらいつも見送っている。
2006
私の好きなスティーブン・キングの本で、「幸運の25セント硬貨」と題されたものがある。春休みにアメリカへ遊びに来た友人がたくさん持って来てくれた本のうちの一冊で、日本語の活字に飢えていた私としては彼女に感謝しても感謝し切れない。さて、アメリカで暮らした事がなければ、なぜ25セントという微妙な額なのか?と不思議に思われるかも知れない。日本円にすると27~8円で、いかにも中途半端だ。しかし、アメリカでは25セント硬貨、通称クォーターは一番の通用率を誇るコインなのである。日本の百円玉のようなものだ。
洗濯機も乾燥機もクォーターコインしか入れられないため、その時点で必需品だ。ゲーセンに行っても使われるのは札以外ではクォーターである。そして毎年数枚ずつ、各州のオリジナルデザインの裏面を持つクォーターが発行されていて、集めている人も少なくない。ネバダ州は野生馬と山脈と日の出がデザインされ、別名の「Silver State」と書かれていた。こんな風に50種類以上のデザインが発行されるわけだから、いかに皆がクォーターコインに愛着があるかがわかる。サイフにクォーターがあると、とりあえず洗濯のためとコレクションのために貯めておくのだ。
2006
2006
アメリカに来るまでは家に住んでいたので、自炊歴はこっちに来てからやっと始まる。そして悪癖は、誰に習ったわけでもないのに、料理を作ると調味料を足したくてうずうずしてしまう事だ。
カレーを作らせると、カレールーだけじゃ物足りないのは当たり前で、そこにさらにしょうゆ・ソース・にんにく・インド産のカレー粉・シナモンなどが入った中国産の五香粉・イタリアンハーブの混ぜ合わせ粉・アメリカで売っているTeriyakiの粉・そして牛乳と、隠し味も何もあったもんじゃない量の調味料を入れていく。そうすると、もうほぼカレーじゃなくなっている不思議な煮込みができ、毎回それを(自分的には)おいしく頂いている。すべて目分量で入れるから、同じ味は二度と作れないのが特徴だ。
さっきもジャガイモと鶏肉のスープを作ったのだが、ちょくちょく味見をして何か物足りないなぁーとぶつぶつ言いながら、結局酒・塩・しょうゆ・インドのカレー粉再び・にんにく・月桂冠の葉・バジル・シトラスペッパーと賑やか極まるスープが出来た。自分的にはうまい。これぞ料理は足し算というのかも知れないが、なんだか足しすぎて1+1=5的な話になっている気がする。それでも、香草や調味料のたっぷり入った料理が好きみたいなので、足さずにはいられないようだ。
いつか、ものを足しすぎないちゃんとした料理を習いたいものだ。
2006
最近街角でいやに堂々とひとり言を喋ってる人をよく見るなぁと思いきや、耳につけるだけのフリーハンド電話が普及しているようだ。見慣れないと、その人が電話をかけている事になかなか気付かない。まぁ、そんな新型電話の利用者たちは、周りから奇異な視線で見られる事よりも、両手を使わずに済む便利さを取ったのであろうが。
そのフリーハンド電話で話している姿が変だと思えるのは、手に持った電話機を耳に当てて喋るという、電話をするにあたってなくてはならない行為がないからだろう。今まで電話機がどんな形に進化しようと、人は何かを手に持っていたのだから、それは確かに、ベルによる電話機の発明以来の斬新なアイデアだ。
またこの事によって解るのは、人はよく形から物事を判断しているという事だ。口がもぐもぐしていたら何か食べていると解るようなものである。ロダン作の「考える人」だって、あのポーズが典型的な物事を考える時のポーズと認識されているからそう名付けられるのであって、あんな格好をしていながら「笑う人」とか名付けられても困る。いや、あの格好でも確かに笑ってられるけどさぁ…という感じである。
どうも、「書生行録」からこちらに移転しました。
これからも宜しくお願いします。
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