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なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。

2024

0503
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2006

0918

うちの家が道路に面しているせいで、歩道を歩いて行く人の姿がよく見える。それを何気なく見ていると気付くのだが、黒のズボンに白いワイシャツ、その上にてかてか光る黒い生地のチョッキを着た人がたまに通って、決まって南へ歩いて行く。南には何があるか?それはダウンタウンと、立ち並ぶカジノだ。彼らはこれからカジノに出勤するディーラーさんたちに違いない。

バナナフィッシュの中でブランカが「スーツは男の戦闘服」とキメていたが、ディーラーさんたちのチョッキを着た後姿はその言葉を連想させ、ちょっとかっこいいなと思いながらいつも見送っている。

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2006

0916

今学期の趣味クラスは、ずばりシェイクスピアだ。このクラスは「喜劇と恋愛」と「歴史と悲劇」の二つに分かれていて、私が取っているのは後の方だ。学期で6作のシェイクスピアを読むが、手始めは「ロミオとジュリエット」だった。恋愛でもあるが、確かに悲劇でもある。

このクラスを取った理由は、もともと歴史的有名人の著作を読むのが好きで、シェイクスピアはその中でも大御所だから。もう一つの個人的な理由としては、「からくりサーカス」という漫画に出て来るギイが好きだから、シェイクスピアも好きになった。ギイというのがまたキザなフランス人で、戦いで死にそうな怪我をしていても、にやりと笑って「シェイクスピア曰く『この世は舞台なり。誰もがそこでは一役演じなければならぬ』」とうそぶいたりする。ギイがいつもそうやってシェイクスピアの言葉を引用していたのだ。

さて、1998年ぐらいに作られた現代版の「ロミオ&ジュリエット」の映画があり、原作を読み通した後にそれを観た。馬鹿馬鹿しいほど現代化された舞台、でも台詞はすべてシェイクスピアの言葉のまま、というのが面白い。それを観てあらためて思ったが、ロミジュリとはとことん間の悪い場面が多い。まあ、間の悪い場面が重なってあの悲劇になったわけだが。

ローレンス神父がジュリエットに24時間仮死になる薬を与え、それを街から追放されたロミオに伝えようと手紙を出すのに、ロミオは郵便員とすれ違ってそれを受け取らない。あそこで受け取っていれば~!!

そのせいで仮死である事を知らず、死んでいるジュリエットを見て絶望し、毒を飲んで後を追おうとするロミオ。ロミオが上を仰いで「今行くよ…」と言っている間に、ジュリエットは目を覚ましてロミオに手を伸ばす。しかしその手が届く頃には、ロミオは猛毒を飲んでしまった後だった。
そこで気付けよロミオーっ!!上を仰いで浸ってる場合じゃないよ!ほら、ジュリエット生きてるよ!!だーっ馬鹿ーっ!!

あー、こういう間の悪いのってすごく苦手です。観ていて勝手に悶えそうに苦しかったです。でもこうしなければ、ロミジュリはロミジュリにならず、シェイクスピアはシェイクスピアにならないんだろうな。

2006

0915

私の大きらいな物理の授業を、卒業のためにはもうこれ以上履修を先延ばしに出来なくて、今学期しぶしぶ取っている。それにはラボがあって、昨日その一回目のラボに行ってきた。

ラボは2人一組になり、実験をする。そのレポートは、個人で出してもいいし、2人で出してもいいと言われた。別に知り合いでもない人と組んでいるわけだから、一緒に出すとなると、わざわざ集まったりしないといけなくて面倒だ。なので、「別々に出すのでいいよね?」と私は相手に聞いた。

そしたら彼女はこう言った(と思われる)。
「ええ、それでいいと思うわ。だってこういうのって、2人でやっても別々にやるのと同じくらいの手間がかかるんですものね。ええ、本当にそれでいいと思うわ。一緒に出すと、2人でその成績をシェアするんでしょ?私、自分だけでやっても十分いい成績を取れますから。」

同意してくれるのはうれしいんだけど、最後の一言はちょっと多かったんじゃないかな…。

2006

0914

最近ブログの筆が進んでないなあ。
ぼーっとしているうちに、また一週間がすぎてしまった。

さて、先週の金曜に撮った写真が、今週号のSagebrushに載っている。またスポーツの写真を引き受け、今回は水泳を撮ってきた。前はアンケートの興味ある分野に「文化イベントなど」と書き、スポーツ写真にはまったく興味を示さなかった私だが、スポーツを撮るのは面白いということに気付いた。2時間ほどで500百枚以上を撮り、その中からいいと思うのを3枚選んで提出した。あれだけ撮っても、たった3枚しかマシなものがなかったのだ。

そのうちの一枚は選手がバタフライを泳いでいる写真なのだが、やらなきゃいけないと思いつつ、撮ってる時は忙しくてとても選手たちの名前をいちいち控えるなんて出来なかった。しかし、新聞に載せるためには、必ず正しい名前がないといけない。他のスポーツならば背番号と顔で選手を割り出せるのだが、水泳に限っては背番号もなければ、キャップとゴーグルで顔も見えない。仕方なく水泳のコーチにメールを出し、月曜日まで返事を待って名前をもらったのだが、この時ほどリュ―クと死神の目を取り引きしたいと思った時はなかった。あ、でも寿命が半分になるのはやだな。りんご1年分で勘弁してくれないかな。

じゃ、せっかくタイトルに出したので、稲葉さんになって歌います。

純情の海を クロールで横切っていこう
僕らは 悩み多きスイマーだ!
かいて 強くかいて よろこびにタッチすれば
明日も捨てたもんじゃないだろう?

(書きながら本当に歌ってるヤツ)

2006

0906

UNRには「Nevada Sagebrush」という、発行数6500部の新聞がある。夏休みの終わりに、Sagebrushが新年度に向けてWriterやPhotographerを募集していたので、Photographerに応募してみた。報酬もない仕事だが、かねがね報道と写真に興味があったから、このチャンスは逃したくないと思った。一ヵ月後、忘れかけた頃に採用されたというメールを受け取り、おとといの日曜日に初仕事をした。

一眼レフの、30cmもあろうかという望遠レンズのついた、とにかく重いカメラを貸してもらった。露出もシャッタースピードもズームも手動だ。でも、そうじゃないとスポーツの動きを捉えきれないのだとすぐに分かった。ファインダーを覗き、中央線越しに選手たちとボールを追い、撮りたいだけ撮る。「とにかく撮って。300枚も400枚も撮ったらグレイトよ」と言われ、その通りにした。あの重いレンズを支えながらズームリングを回し続けて左手を酷使したためか、今でも指のしびれが取れないが、オフィスに帰って「よく撮れてるわよ」とエディターにほめられた時はうれしかった。

UNRの人は、今までSagebrushなんて手に取ったことがなくても、ぜひ今週号のは見てくれ。そして、Gamedayという別紙のスポーツ欄を見てほしい。一枚目の右下にあるカラーのバレーボールの写真、そして中のモノクロの女子サッカーの写真が、日曜に私が手を痛くしながら撮ったやつだ。発行日の今日、朝ドキドキでSagebrushを手に取ってそれを目の当たりにし、今かなり興奮している。自分の撮った写真が新聞に載って印刷されてあちこちに置かれるなんてすげえ!!

2006

0902

ダ・ヴィンチという本のための雑誌があって、そこでしりあがり寿さんが「オーイ・メメントモリ」という2ページ漫画を掲載している。脱力感の漂う絵なのに、なかなか深いネタに突っ込んでいて面白い。この前は、変わる「日本」というものを題材にしていた。

舞台付きの居酒屋みたいな所で、”日本”を題しながら中国風の衣装と踊りが出てきて、観客(日本への情熱を胸に抱く中年男性たち)が猛烈に文句を言う。次に白ふんどしの男たちが出てきて、彼らは「これぞ日本」と喜ぶが、白ふんどしの男が女とからみ始めると「いかがわしい」とブーイング。ふんどしって要はパンツ一丁…と考えてはいけない。

次にきらびやかな着物をまとった芸者さんが登場して、誰もが「これは日本だ」と認めるが、それに対して「何をちゃらちゃらしおって!」と勾玉を付けた古代人が怒り、今度はその古代人たちに「きさまら渡来かぶれのマゲを結いおって!」と縄文人が怒っている。もうここまで来ると可笑しくて、何が何やらだ。最初の中国風の衣装(飛鳥・平安時代の「日本」)から、すべてはあの列島で日本人が創って来た文化なのに、どこも文句を言われてしまうのである。

この分じゃ、今の私たちだって未来の日本文化を「日本」と認められるかどうかわからんな。

 

2006

0829

秋学期初日の授業とバイトを終え、ライブラリーに行ってパソコンを使っていたら、知らないおじいちゃんに話しかけられた。やってほしい事があると言う。

「孫娘からこれが来たんだけど、これの文法を直してリタイプしてくれんかな。」

おじいちゃんの手にはタイプされた書類が一枚ある。なんでも、眼鏡が壊れて読めないのだそうだ。リタイプするのはいいが、文法を直すとなると私なんかが出る筋合いじゃない。普通のアメリカ人の学生に頼んだ方がずっといい。そう言ったら、「明らかな綴り間違いとかだから、大丈夫。とりあえずやってみれくれんか。」と再度頼まれ、おまけにすごい条件を口にした。

「やってくれたら15ドルあげよう。」

・・・えっ、15ドルもくれるんスか!?(キラーン)

30分もかからなさそうな内容に対して、日本円で1600~700円もくれるというのは破格である。じゃ、じゃあやってみます・・・と思わず答えてしまった。ワードを開き、(おじいちゃんのためにと15ドルのために)さぁやるぞと向かった時に、また声をかけられた。

「実はな、あそこに座っている学生(アメリカ人)もやってくれると言うんだが、どうするかね。君は文法に自信がないなら、やっぱり彼女にやってもらうかね。」

なんか雲行きがあやしくなってきたぞ・・・。

それでもやりますよと言ったものの、おじいちゃんは何となく渋っている。これはどうやら向こうにやってほしいようだ。そう見て取れたので、じゃやっぱりいいですと紙を返した。今のは何だったんだろう・・・。降って湧いた15ドルが飛んでいったとは言わないが、まったく人騒がせだった。

2006

0828

私の好きなスティーブン・キングの本で、「幸運の25セント硬貨」と題されたものがある。春休みにアメリカへ遊びに来た友人がたくさん持って来てくれた本のうちの一冊で、日本語の活字に飢えていた私としては彼女に感謝しても感謝し切れない。さて、アメリカで暮らした事がなければ、なぜ25セントという微妙な額なのか?と不思議に思われるかも知れない。日本円にすると27~8円で、いかにも中途半端だ。しかし、アメリカでは25セント硬貨、通称クォーターは一番の通用率を誇るコインなのである。日本の百円玉のようなものだ。

洗濯機も乾燥機もクォーターコインしか入れられないため、その時点で必需品だ。ゲーセンに行っても使われるのは札以外ではクォーターである。そして毎年数枚ずつ、各州のオリジナルデザインの裏面を持つクォーターが発行されていて、集めている人も少なくない。ネバダ州は野生馬と山脈と日の出がデザインされ、別名の「Silver State」と書かれていた。こんな風に50種類以上のデザインが発行されるわけだから、いかに皆がクォーターコインに愛着があるかがわかる。サイフにクォーターがあると、とりあえず洗濯のためとコレクションのために貯めておくのだ。

 

2006

0825

横山秀夫の「半落ち」を読んだ。やっぱり世間で評判になっていた作品だけあって、面白かった。何人もの人間の視点を飛び移りながらの進行は「壬生義士伝」を思い出させたが、刑事・検事・新聞記者・弁護士・裁判官・刑務官の順に、容疑者の梶総一郎と物語がたどるプロセスが進んで行くのは絶妙だった。

中でも私が特に感じ入ったのは中盤、新聞記者の中尾洋平の章だ。どの人物も、どこかしらで人生に失敗してスネに傷持っていて、今の職場での上下関係のせいで思い通りにいかないもどかしさを感じている。この小説の大きな焦点の一つは、”組織の窮屈さ”であるようだ。ちょっと社会人になった時のことが思いやられる。

中尾洋平という記者は、警察が秘密に調べていた事件を書いて暴いたので、刑事たちににらまれている。その上、偶然立ち聞きした特大スクープを強引に聞きに行ったため、地検にもしばらく出入り禁止になった。その間に地検の発表を聞けず、他の新聞が全部書いているのに自社だけ知らなかったという「特オチ」を食らい、自分は新規採用の上司に「だから中途採用のやつはダメなんだ」と罵倒される。

その中尾が県警で立ち聞きしたネタはどこの社も知らないものだったが、それを記事にすると影響が大き過ぎる上に、何より容疑者である梶総一郎の決死の覚悟を踏みつけにするものだった。県警は別の特ネタを提供し、梶のために書かないでくれと言う。中尾はそれに応じるが、上司にパソコンの予定稿を勝手に読まれ、梶事件について書けと命じられる。「書けません」という中尾に、「本社が社会面のトップを空けて待ってるんだぞ。会社にい続けたかったら書け。」と命じる上司。中尾は結局、送信のボタンを押してしまうのだった。

新聞記者ってこんなに大変なんだ…と実感させられた場面。お互いにスクープが取れなくてなぐさめ合った今日の友は、特ネタを載せてこちらを見下した顔をする明日の敵になる。特オチをした日に休憩所で他社の記者たちから嘲笑され、誰がどうなろうとこのスクープを書いてやると決意する中尾の姿は哀れだ。そこではまさにあらゆる方面との情報戦が行われているが、終わりのない戦いほど人を疲れさせるものはない。フィクションながら、現実的すぎるほど現実的な小説だった。

2006

0824

一応、人と対応するサービス業なバイトをしているが、己のコミュニケーション能力の稚拙さが身にしみて、とても自分がイヤになる。

たとえば知らない人と目が合った時に、とっさにニコッと笑える人はすごいと思う。私じゃ緊張して、うつむいたりしてしまう事が多いからだ。それに、「How are you?」などの基本のあいさつが今でもちゃんと出来ない。知らない人でもさらりと聞いてくれる人がいるが、そういう時にはとっさに言葉が出なくて、もごもごしたまま通り過ぎてしまったりする。そんな時は、情けなくて申し訳なくてしかたない。ちゃんとそれに返事をして、相手にも聞き返すのが最低の礼儀なのに…。

今日もちゃんと挨拶ができなくて、壁に頭をぶつけたくなった。バイト先の廊下で、おじいちゃんに通訳を頼まれた縁で、アパートにお邪魔して何時間も喋ったりしたジョン・ケニオンに会った。ハローと言ったところまでは良かったものの後の言葉が続かなくて、ごまかしとせめてもの親愛さをこめて笑って見せたのだけれど、きっと彼にしてみれば、ハローと言われた後に「でへへへ」と意味もなく気持ち悪い笑い方をされて、さぞ困惑しただろう。なんでそこで普通に気持ちよく挨拶できないわけ!?とすごく腹立だしくて、すごく恥ずかしかった。

何とかならないかな、ホント。

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1984/10/25
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